ビルメン業界ってやつは・・・その1
カテゴリ :ビルメン業界
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2007-09-01
下町ユニオンニュース2007年9月号より食い詰めた中年男として、職業訓練校の「ビルメンテナンス科」に入ったのは12年前の秋。新聞広告で翌春就職した小さな会社は契約書を交わす時になって初めて、実は6ヶ月毎の契約社員、渋る私に「まあ形式的なものだから自動的に延長されますよ(早くハンコ押してください・・)。」、ときたもんだ。もらった名刺には「世界のH」を冠にした某会社名の下に「第一技術本部サービス部」という私の肩書きがすまして印刷してあった。もちろん入社した筈の会社名とは全く違う。
設備管理をするその現場に初めて行く。それまで委託されていた会社から「私たちの会社」に切り替わったと言うことで、そこで働くはずの全員でぞろぞろと行った。実際の会社名は絶対に言うな、という厳命付き。実はまだ必要人数が集まっておらず人数あわせに全然関係ない人も同行していたことに気づいたのはずっと後だった。
その現場で働くことになった9人の設備管理員の内、経験が有るのは1人、あと2人は名刺に書かれたH社に以前から派遣だか出向だかしていて空調関係の知識はあるが、あとの6名は私も含めて未経験者だった。
私たちに職場を追われた前の委託会社の人達が冷凍機のある機械室で、最後の夜、寂しいお別れ会をしていたのを覚えている。配転先の設備管理職場がなくて道路工事の警備員に回された人もいたと聞いた。
その建物の建築に関わったH社が設備のリニューアルに絡めて設備管理の委託も奪い取った、しかし、最初から丸投げで儲ける予定だった、という構図ではなかったろうか。
当然、仕事の中身も失敗だらけ、H社の課長や部長は度々その収拾にかけずり回ることとなった。元は新聞社にいたという年配の人が首(たぶん)になった。所長格の人が解任され、その人は結局会社を辞めた。後任はH社を定年退職した人だった。その頃は丸投げもばれていたが、そのまま契約は続いた。
勤務についてもむちゃくちゃだった。私は24時間拘束の泊まり、明け、休日という3日サイクルの勤務だったが、社長の甥っ子だとかいう専務の「若造」は泊まり勤務を休むと3日分の賃金カットだと言った。24時間は1日8時間×3日分だというのだ。(はぁー?)。縷々説明しても理解不能なふりをするので、労基署へ直行、そこから入れた電話の「今労基署で話しましたが・・」の一言でそれは解消した。しかし、このままいても仕事も覚えられない。6ヶ月後の契約期間満了で私は退職した。
9年後その建物を訪れる機会があった。委託会社は変わったそうだが当時の仲間が一人だけ残っていた。「うぶ」だった?当時の事を思うと労働法の知識が如何に重要か感じ入る。ビルメンユニオンとしてもきちんと勉強しなくてはならない。 by石頭


