ある現場から パート3 新会社でもやはり
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2009-02-04
下町ユニオンニュース2009.2月号に要約掲載第一部
前回の、最悪の企業を辞めて、転職活動をしているがなかなか、次の会社がなかなかきまらない。
ビル設備管理の会社を、2社を受けているが、1社は、千葉のホテルということで、もうホテルはこりごりなので辞退して、もう1社目の1次面接に行った。
面接の希望では、ホテルはちょっと辞退したいという意思をつたえたら、ええ大丈夫です、ということなので、なかなかいい反応だし、面接官もいい人そうだ。この会社は、名前は伏せるが、ビルメン会社にしては、でかいほうなので、決まればいいなと思った。ただ1次面接で気になったのは、求人広告に
休日が月7日〜9日と書いてあったのに、面接では、それは、宿直ありの場合で、宿直ありでも、月6日、宿直なしでは、月4日と説明されたことだった。それでは、宿直ありでも月9日は祭日をたした日数ということで、えらく休みが少ない会社だと思ったが、まあ私の希望は、オフィスビルで、宿直なし勤務なので、それでもいいかと思った。
1次面接を受けて、次の日に連絡があり、2次面接に来てくれということで、2次面接に行った。
2次面接では、「オフィスビルは、空きがないので、君の配属先は、ホテルしかないので、どうだろう。もしダメと言うなら、この話はなくなりますが」
そう言われると、すでに1社目を辞退しているので、それはないと心の中で思ったが、結局同意した。
勤務場所は、Aというホテルで、宿直は10回(ちょっと多い)で、新館と本館に分かれているみたいで、新館、本館一人ずつ宿直する。給料は前の会社より、上がったが、前の会社は、宿直8回で、休みは、祭日関係なく月8日なので、上がったといっても微妙である。
入社手続きの書類をもらい、帰りぎわに健康診断を受けるように言われた。普通逆のような気もするが、健康診断の結果は、採用には関係ないらしい?。
入社当日、本社に8時に来るようにいわれ、出社すると、面接官のM野課長が出迎えてくれた。必要書類を渡すと、早速、現場まで連れて行ってくれた。
「ここが、君の勤めてもらう現場だがら」、ばっと見た感じ、前の会社のホテルに比べるとかなり小さい。そして、通用口のやる気のなさそうな駐車場係り(ここには警備はいない)から、入門カードをもらうと、設備の待機室に案内された。
待機室を、見た瞬間、『せまい、そして汚い』と心の中で思った。そうすると責任者らしき人をM野課長から紹介された、「この人が、責任者のM田さん、そしてこの人が副責任者のT口さん、じゃM田さん、後よろしく」と言うと、逃げるように去っていった。『確かにここに長居したくないよな』と心中で思った。そうすると、いかにも眠そうなM田さんが「私が、ここの責任者になるM田です。夜勤明けなので、今日のところは、ホテルを軽く案内して、午後帰ります。午後からは、ここにいるT口さんにいろいろ教えてもらって」と言われた。私は「はい、よろしくお願いします。」と言った。
午前中は、ロッカーと、ここはどうやら新館らしいので、新館のなかをざっと案内された。そして午後になり、責任者は「じゃ私は帰ります。後はT口さんについてください。後、明日、ここのホテルの施設管理部のI部長に、朝挨拶に行きますのでよろしく」と言って帰っていった。
午後、ここの副責任者にいろいろ聞いたところ、新館は地上11階地下1階、本館は地上8階、地下1階で、本館は、ここから歩いて5分ぐらいのところにあるらしい。シフト表も見せてもらったが、月6日しか休みがないので、かなりきついシフトである。まだ私のシフトはできていない。
人員は、責任者のM田、副責任者のT口、N島、I関、TN島、そしてシフトの一番上に書いてあるA香の6人らしい。副責任者に、「このシフトの一番上にあるA香という人はどこに、ずっと休みみたいだけど」と聞いてみたら、副責任者は、「ああこの人は、前の責任者、来月から、このホテルの施設管理部の課長として働くことになっている。」と聞かされた。
そして、次の日、出勤すると、昨日本館勤務だったTN島という人がいた。すごい顔色悪い人だと思った。そしてM田も来ていた。昨日新館勤務の副責任者のT口さんもいた。この日の新館勤務はM田さんだから、一人たりないと思ったら、しばらくするとI関さんが来た。私は、自己紹介と挨拶をした。
M田さんは「まだ、ちょっと休んでて、しばらくしたら施設管理部のI部長とM相談役に挨拶にいくから」といわれ、休んでいると、扉があいて、背広姿の男が入ってきた。「君が○○君、よろしく」と言われた。『あんた誰?』と思ったが、M田さんが「本社の営業部長のA池さん」と言った、『営業部長なら名前ぐらい名乗れよ、初対面なのに、こっちは最初に名乗っているのに』と思ったが、ここはこらえて、A池部長が、「さっそく上にいこう(待機室はB1で施設管理部は2階)」と言われたので、上にあがった。2階の施設管理部の近くにある会議室(本来は宴会をやるところ)に案内されると、さっそくI部長とM相談役が待っていた。
一通り挨拶すると、A池部長がI部長に、私の履歴書を渡した、またここでも面接かよ。
面接はすぐに終わったというより、I部長は私の履歴を一通り読むとなにも質問せずに、「これから、よろしく」と私に言った後、A池部長に「新人の履歴書は、もっと早く、私に渡してくれないと」と言った。するとA池部長は、「M相談役に、3日前に履歴書を渡しましたが」と言った瞬間、急にこの場の雰囲気が悪くなった。
I部長は「なるほどわかりました。とりあえずよろしく」といって、M相談役と出て行った。
その時、責任者のM田は、「M相談役がたぶん失くしたか、他の書類と一緒に捨てたのでしょう、あの人惚けているから」とA池部長に言った。
『失くした?個人情報を?』なんかここで、働くのが急速に不安になってきた、それに、ここでも法的には禁止されている面接をやるどは、ビル管理会社どこもそうなのか?
とりあえず、顔合わせが終わり、A池部長が本社に帰ると、責任者と、待機室で二人きりになった。
「とりあえず、これがシフト表だから」と言って、渡されたシフト表を見ると、『一週間しか日勤がない、昨日と今日を除けば5日しかない』、
「今日からそのシフト表どおり、しばらく日勤やってもらって、2回夜勤したら、一人でやってもらうから、2回の夜勤は、私と一緒にやります。」といわれた。
『まじですが、いくら私が前の会社で、ホテルやっているとはいえ、短すぎませんか?』と言おうとしたがやめた。それから、「これから、ホテル内の部屋を案内するから」といわれ
施設内を案内された。それから、待機室に帰って、いろいろと持っている資格を質問された。
次に責任者が、「私は、このホテルで10年やってます。資格は2級ボイラーしか持っていないです。」
私も資格については、偉そうなことは、全然いえないですが、『2級ボイラーだけ、10年もいるのに、それって責任者としてまずくないですか?』と思いました。「年齢は58歳です。資格は2級ボイラーだけですから、どこにもいけません」とさらに言った。『そんなこと、偉そうにいわれても…、どう答えていいかわからないです』と思いました。それからさらに、「この現場は相当やばいですよ、さっきI部長に会ったでしょう、あの人は、この現場の設備管理を別の会社に頼みたがっています。」
さらに「この職場がなくなったら、全員解雇です」と言いました。『えーそうなの…。まだ入ったばかりなのに、そんなの嘘だろう』と思った。
さらに、追い討ちをかけるように、「まあ、私は、全然大丈夫ですが、そういうわけなので」といった。
『嘘つけ、てめえのほうが大丈夫じゃねだろう。しかし、まだ入ったばかりの新人に普通言うかねこんなこと、これが、もしかして、2chで名高い業界のDQNの洗礼ってやつか』と思い、しばらく黙っていると、また責任者が、「まあ頑張ってください」と言った。『この話を聞いた後、どう頑張れるんだよ』と思ったが、適当に返事しといた。
そして、日勤の研修が始まった、責任者とほとんど一緒だったが、本当に説明が早い、肝心なところは、なにも説明してくれない…。
ほかの人、特にI関さんとかTN島さんのほうがよく説明してくれる。副責任者のT口さんも、よく説明してくれて助かります。
ここで、日勤研修でわかったことを書きたいと思う
この職場は、全部で私を含めて6人いる。まず責任者のM田、副責任者のT口さん(実際はM田より、T口のほうが役職は上)、そしてI関さん、TN島さん、N島さんです。全員55歳を越えていて、T口さんは、今年で定年(60歳)である。
このホテルは、新館と本館と分かれており、それぞれ一人ずつ宿直している。日勤者がいるときもある。
基本的には、一人なので、常に待機室を離れるときは、携帯電話を持たなければならない。
日勤研修のときに言われた、食事時間は、日勤の場合は、11時40分ぐらいから30分ぐらいですませるようにと言われた。
日勤研修の最終日、新館勤務はM田で、I関さんは、日勤者だった。I関さんと私が、雑談をしていると、突然責任者が、またこの職場が終わっら、全員解雇の話を怒鳴りながらした。『私はまたかよ』と思ったが、I関さんは、本当にうな垂れていた。それもそのはずで、M田は独身だか、I関さんは、結婚していて、子供もいるので、『もういい加減にしろよ』と思った。
次回から、この責任者と夜勤、一緒の研修かと思うと、ちょっと憂鬱になった。(by N)
(第2部に続く)
遙かなるディーセントワーク
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2008-12-01
下町ユニオンニュース 2008年12月号より――いけない下請けの悲劇――
「俺の言うことが聞けないならクビだ!」
「こんな所で仕事なんか出来るか!やめてやる!」などと。よくある光景だが私の場合は少し違っていた。もう事前に職場を降ろされる事が決まっていたのだ。私はこの事実を後から知った。
その日つまらない仕事上の行き違いから「今月末まででクビだ」と所長から言われた。.私も、納得のいく説明もなくこの後の仕事なんか出来ない、帰ります、と話すと唖然とした表情の後、「さっさと帰れ!今日限りでクビだ!」と怒りながら言うので帰り支度をしていると、所長が上司に電話をしている。ドアを開けて出ていこうとしたときに「今日の分は時間分引いておくからな。」と言う。残り1時間あまりだ。最後までつまらないことを言うヤツだなと思いながら何か言うのもむなしく感じ、何も言わずに帰ってしまった。
下請け孫請けは立場が弱く元請け会社に頭が上がらずいじめられる。今回も実際に平気で「あなたの代わりはいくらでもいる」などと言い放つし、その待遇も当然の如く格差をつけられる。クビにするのも容易なのである。
私を気にくわないと思った元請けの所長は既に前もって今月末で引上げるよう私方の担当営業に伝えてあって、その営業は私には何も話してくれてはいなかったのだ。元請けの言う理由も、通勤に着てくる服装が良くない等のばからしく些細な事でしかない。この現場に来る前、あなたなら充分勤まりますよと言っていた下請け会社の担当者は仕事場を失いたくない一心から何も言えず黙って愛想良く振る舞っているばかりだ。全く情けない限りである。
後日本社に呼ばれ、担当は、以前の現場での事まで持ち出し、腐った現場の事は棚上げにして、私がこのビルメンの職業に向いていないなどと言って辞職を迫る。退職させる理由がはっきりしていないとみるやこれである。この担当は私が給料の事で文句を社長に言ったときに、帰りのエレベーター内で胸ぐらをつかみ脅しをかけてきた人物だ。その日は考えさせてくれと言ってその場をしのいだが、一週間後に返事をすることになり、有給で休んだ。
当然の事ながら自分から退職するつもりは毛頭無かった。現場の労基法無視や、無理なローテーション、残業不払いなどふざけた事を問題にもせず、文句を言った者にすべての責任をかぶせて退職を迫るなど言語道断であり、とうてい許せるものではない。
一週間後担当営業にその旨伝えると、上司に相談するといい、連絡を待つように指示された。更にその一週間後会社に呼ばれ、常務から退職条件を伝えられた。一ヶ月間自由に休んで下さい、その間の給料は支払います、とのこと。要はクビではなく、退職勧奨に応じた形で辞めて下さいと言う条件だった。あなたは職場での運が無かったので申し訳ないが、と言うことだった。
私は小さなこの会社での下請け・孫請けばかり現場にうんざりしていて、それ以上やり合う気持ちが無くなってしまっていてこの条件を呑んだ。この就職難の時代に・・・・。 (s)
ある現場から パート2
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2008-09-01
下町ユニオンニュース 2008年9月号 に要約を掲載4.夜勤(初日)
ここで、施設の概要を説明します。このホテルは、4つの建物があって、耐震補強工事中の別館(宴会場のみ)、G舘(宴会場メイン)、新館(地上40階、地下4階(半地下構造))、旧館(宴会場、バー)があります。新館には、地下に電気室、ボイラー室があり、冷凍機があります、屋上にも冷凍機があります。
日勤は日勤責任者1名とその他の人数は変動しますが、夜勤は5人です。それぞれ1番手から5番手といわれ、1番手は夜勤責任者、2番手は修理係、3番手はG舘、別舘、旧館担当、4番手は昼はデーター、夜は修理係、5番手は昼修理係、夜はデーターとなります。5番手は一番後輩がやります。その上にホテル施設管理部の社員がつきます。ただしこの社員は、夕方になって出てきます。名目上はこの社員が夜勤責任者になります。私は、5番手ということで、最初の2回は、先輩がついて研修しますが、その後は1人で行うそうです。日勤のあいだに、先輩から、できるだけ修理の見習いをしたほうがいいとアドバイスを受けていたので、日勤の昼休みと夕食の時、夜勤と交代する間、修理の見習いをしていたので、修理はちょっと不安ですが、なんとかなりそうと思っていました。
そして、いよいよ夜勤の研修が始まりました。その日は、日曜日でした。昼の修理は、そんなには、なかったのですが、新館の厨房のトラブルが2件ありました。日曜日は昼の客室の修理がそんなにはないので、日々の書類整理、1時間ごとに、温度と湿度のデーターとり(1時間ごと、モニターの数値を書類に書く)と、総務部および客室係りに温度、湿度の報告(1時間ごと)のやり方を教えてもらいました。そして、夕食後、夕礼がはじまったのですが、先輩から夕礼受けていると間に合わないから、途中で抜けていいからと言われ、6時にデータを取りに行きました。電力のデーターは、時間通りきっちりとらないといけないので、6時5分前に、抜けて急いで、取りにいきました。もっと早く抜けたいのですが、先輩が言うには、早く抜けると失礼だから、なるべくぎりぎりまでいるのだそうです。データをなんとか、取り終わると、データーの帰りに夜食をとるから、これも5番手の仕事だから、といわれ夜食をとりに行き、それから監視室にもどりました。それからと先輩によばれ、ふとんを敷くからといわれ、全員分のふとんを敷かされました。先輩に、「ふとんを敷くときは、施設管理部のO部長と、T課長がいないときに敷いて、じゃないと怒られるから」と言われました。そうしているうちに、つぎのデータの時間になり、「データーとってきて、さっきと同じ要領で」、といわれ帰ってくると、今度は先輩に「事務所の清掃をやるからゴミ集めて」といわれ、これも5番手の仕事だから。それから、明日の勤務者の名札かえ(ここは、名札で管理している)を行った、注意事項は、O部長とM課長がいるときは、おこなえない(笑)。それが終わったのは9時ごろでした。そうしていると、先輩が「宴会場が早く終わったし、今日のメインイベントのボイラー切り替えやるから」。「このボイラー切り替えは、宴会場が稼動しているときと、O部長がいるときはだめだから」、またO部長かよ。
このホテルは、ボイラーが3基あり、通常は2基稼動している。例えば1号、2号が稼動しているとしたら、次は2号、3号、そして次は3号、1号となるわけである。この作業が複雑すぎて、全然わからない。先輩が「まあ最初はわからないだろうから、俺のそばで見てて」といわれたので見てたが、さっぱりわからない。でもさすが、先輩は説明しながらも40分くらいで終わった、でも二人とも汗だくだくだった(ボイラー室の温度は50度)。それから、ボイラー室の掃除をして中央監視室に帰ると、「切り替えのデーターを書くのは後でいいから、データー取りにいくから」と言われ、休みたかったがデータを取りにいった。それから途中、客室の空き状態の確認、電話交換機室の確認、スチームバルブ閉めと行い戻ってくると、今度は休憩室の掃除、休むひまがありません。監視室に帰って、ボイラー切り替え時のデータ記入した後、旧館のライト消し(?)、トイレのパイプシャフトの点検と行ってるうちに、0時のデーターの時間になった。先輩と一緒に、データーをとり、「0時のデーターは取るところが多くなるから」と言われた。大分多い。結局監視室に帰ったのは、0時30分ごろ。1番手と3番手はすでに寝ていて、2番手と4番手が留守番をしていた。それから、データーの集計が始まった。今日1日のボイラー、電力、冷凍機の合計を出す。これも、すべて手書きなので、最後の検算まで含めると、2時間は、ゆうにかかる。そして、最後に明日にデータを引き継がなければならないので、結局終わったのは、初めてなので、3時。先輩は「初めてで、ちょっと時間が、かかりすぎだがまーいいか。慣れれば1時間で全部終わるから」。絶対無理だと思った。2番手と4番手の人が先輩を呼んで
「これから夜間作業いくぞ」と言った。先輩は、「じゃ夜間作業にいくから、留守番してて、なにかあったらパナコール(ポケペル)呼んで、それから5時になったら、Kさん(1番手)起こして」と言って出かけていった。5時以降までやるのかよ、もうすでに私は、体力の限界だった。しかし一人留守番は、すごく不安だ。それでもなんとか5時まで、起きていると1番手と3番手が起きてきた。5時30分に先輩が夜間作業から、かえってきた。なにやら1番手に引き継ぎをし、私に「それでは、もう寝ていいよ。ちょっと早いけど、明日は6時30分には起きてきて」と言った。これで早い?もう5時50分なのに、頭おかしいのか?これでは、45分しか寝れないんじゃと思った。結局寝れず、6時30分に先輩が「じゃー一緒にいこう、まずポンプの点検と機械室の点検いこう」といって、「本来は、もっと早く行かないと、事務室の掃除もあるから、初めてだからしょうがない」と言って、ポンプの点検と機械室の点検をちょっとやり、すぐに事務室に戻ってきて、昨日のうちに用意した、データーの記録用紙をもって、地下のデータを取りに行った。先輩が「そこにある塩素とって、屋上のデータをとった帰りに池によって塩素を投入するから、それと同時にほかの機械室も点検するから、それも5番手の仕事だから」、ちょっと5番手の仕事が多すぎるような。
結局、帰ってきたのは8時だった。8時から、中央監視室で、ぼっーとしていると、3番手に怒られた。
「ぼーとするな」そりゃーあんたは寝てるからいいかもしれないが、こっちは寝てないんだよと言いたかったが、なんとかこらえた。
朝礼が終わるまで帰れず、ようやく帰っていいよといわれたのは、9時30分からだった。先輩に「1回じゃわからないでしょう。本当はもっとやることがあるのだが、まあ初めてだから、次で覚えてね」、覚えられるかと思ったが、まったく寝てないので、反論する気力もなく、ぼろぼろで帰りました。「やってけるのかなあ」と思いながら。
5、夜勤(2回目)
2回目の夜勤は、平日だった。そして、今日の教官は、おれより1ヶ月上の先輩って、おい大丈夫か?と思いながら勤務についた。まずかったるい朝礼が終わると、朝の温度、湿度の記録用紙の準備、それからスチームバルブ開けをやる。それから夜勤の人と交代、やっぱり5番手の人はやつれている。引きつぎを聞いて交代。平日なので、やはり、修理依頼が多い。先輩も出かけてしまい、1番手と俺一人になった。その時、ちょうど電話が、客室からだ、聞いてみると、いままでやったことのない修理だ。俺はやだけど1番手に話した「そう。行けば」といわれた。俺が「え、わからないんですけど」というと、1番手は、「使えないな。ともかく早く行け」と言われ、しょうがなく出かけた。行ってみると、わからない。しばらく頑張っていると、あまりにも遅いので先輩が来た。先輩に聞いてようやく終わり、戻ってみると1番手に怒られた。「なぜ、だめなら、もっと早く言わない。いっとくが修理は30分以内でやれ」そんなこと言っても、行く前に聞いたじゃないかと内心思った。1番手をやる人は所長、副所長含めて4人いるが、こんなのはこの1番手だけかなと思ったが全部この調子だった。夜になったら、1回目の繰り返しで、さらに日々の業務日誌を書くのも、5番手の仕事と聞かされ、結局全部の業務が終わったのは4時30分だった。今度は二人で留守番していると、4番手が5時に帰ってきた。4番手は「今日は汚泥そうの引き取りの車が5時10分ごろ来るから、二人で立ち会って、俺はここで、留守番しているから、あといくとき1番手起こして」といって、立会いが終わったのは結局6時までかかった。その途中で、先輩が「本当はその前に、やらなければならないのだが、共用休憩室の掃除があるので、俺が立ち会うから、やってきて」と言われ、共用休憩室の掃除をした。そして6時に開放され、事務所に帰り、書類に記入した、この時点で6時20分だった。先輩に「それじゃー寝ていいよ、明日は、1回目で要領わかっていることだし、6時50分でいいよ」って、だから30分しかないだろう。やはり寝れず、結局先輩を6時50分に起こしにいった。結局朝の作業を6時50分から開始したので、中央監視室に戻ってきたのは、8時30分だった。そうすると、3番手に「おそい、おそすぎる、いったい何してんだ、8時までには、最低戻って来い」と怒られた。戻ってこれるか、やること多すぎるんだよと思ったが、こらえた。それから、へんな修理依頼が来たため、修理に出かけた、帰れたのは10時だった。もうすでに1番手以外は帰っていた。やるたんびに帰る時間が遅くなるなあと思った、それで残業代はなしです。結局ぼろぼろになり、帰りロッカーで着替えていると、先輩に「次回から一人ですね、頑張ってください」そうだった次回から一人だった、すごく不安だった。
5、夜勤(それ以降、そしてAホテルの勤務終了)
相変わらず、誰も教えてくれない、寝れない、雑用多いですでに身体はぼろぼろだった。そして、相変わらず、所長および副所長に手厳しくやられていた。でも、勤務もすでに5ヶ月を越え、6ヶ月目に入り、勤務そろそろ慣れてきたところだ、相変わらず所長には、なれていないが。そんなある日、所長にバルブを閉めてきてくれと言われた、聞き返そうと思ったが、聞ける雰囲気ではないなこれはと思ったので、先輩に聞いたが、「悪いいま教えている暇ないけど、たぶんバルブはあの付近だから」と言われたので、行ってみて、これだなと自分で判断して、バルブを閉めた(これが間違いだった)。そして、0時ごろ機械室でデータを取ってくると、所長がでかい声だして、入ってきて「てめーが何したかわかっているのか」と言って入ってきて、えっと思っていると、いきなり胸倉をつかんで、蹴られた。蹴るのがしかもローキックで、いきなり顔面を殴ってこないところを見ると、こいつかなり暴行なれしてやがる。とりあえず胸倉をつかみながら現地につれていかれ、「このバルブをとりあえず開けろ」と言われあけると「のろのろするな」と言って、けつを蹴られた、また傷跡がのこらないところとは、やはり暴行なれしている。とりあえず、作業を終えると、さらに、胸倉をつかまれ説教された。そして、朝になり、俺の怒りを収まらなかった、最初は副所長に相談しようと思ったが、過去所長の暴行で何人も人がやめているのを考えると、副所長に相談しても無駄だと思い、私は東京労働局に相談しに行った。東京労働局の係官は、「なるぼど、確かに君はミスをしたが、それと暴行は別だ」と言われ、「そういう事情なら、本社の人事の人に相談しなさい。人事は性格上そういう話を握りつぶせる部署ではないから、その際は、東京労働局には相談しているということを、それとなく言った方がいいよ」「もし、それでだめだったら、うちらが動くから」のアドバイスをうけ、直接人事に電話をかけ、相談しに行った。
人事に相談しに行ったとき、人事の人はすごく心配してくれた。早速、人事は、ビル管理事業部(自分の所属している部)の担当係長であるM村係長を呼び、事情を説明した。人事のS係長が、すでに総務部長にこの件はあげてあると説明したら、M村係長は、「M本(所長)を散々注意したのですが」とS係長に説明しましたが、S係長は「M本はこちらの名のもとに、処分します、それでいいですね」と言い、「君もそれで納得してくれるか」と言われた。私としては、人事に相談した時点で、転勤したいという要望を聞いてくれたので、別にM本の処分は、望んでないのだが、「はい」と返事した。S係長は、「ところで君の処遇だか、どこに行きたい、Aホテルはやだろう」と聞かれたので、「確かにやです」と言ったところ、M村係長が「では、Sホテルに移動させます、どうだろう」と聞かれたので、Sホテルか、家から近くなるし、と思い「そこでいいですと答えました」、それでは、S係長が「この件は、この場だけの秘密ということでよろしいですな」と言い、では、これより3日後に移動する、ということになり、S係長がそうなると「1日でてもらわなければならないが大丈夫?」と言われたので、「1日くらいだったら、大丈夫です」と答えると、S係長は「この件は、職場には、漏れないから、君が移動した後で、M本を処分するから」と言われ。とりあえず1日出勤することにした。そしてその日の勤務を終了したとき、次の最後の自分の会社の朝礼で、副所長にしっかり事件が漏れていました。この中で、「上司に暴行をうけて、労働基準監督署にちくったやつがいる」「まったく社会人として恥ずかしい」と言われた。はあ、何が社会人として恥ずかしいか意味がわからないし、大体そうだんしたのは東京労働局です。まったく狂っている。ともかくこういう職場と別れられて、内心は、ほっとした。
だかまだ、悪夢が終わってないことを後に思い知ることとなる。それは、Sホテル編で語りたいと思う。
6.転勤
いよいよSホテルへ、移動した。M村係長が案内してくれた。このSホテルは、日本最大の歓楽街のすぐ近くにあり、ショッピングセンターと駅が一緒の施設にある。Aホテルよりちょっと小さい25階あり、地下は4階である。ゲートをくぐると、中央監視室に案内された。なるほど、雰囲気はよそそうだ。前と違って、挨拶しても、返してくれる。若干返さない人がいるけど。ここの責任者のOから、きみは経験者だから、日勤1ヶ月後に夜勤に入ってもらうと言われた。ここも、やはり日勤の人数はその日によってばらばらだが、夜勤は、社員が一人で、こちらがわが4人だそうだ。日勤は、二人は日常点検とデータ取り(ボイラー、冷凍機)だが、電力はとらない。修理係は、中央監視とCPUと上記以外の人がやるみたいだ。しかしAホテルと同様に、朝礼、夕礼があるが、時間は短い。また、責任者のOに、「ここは、残業代が予算不足ででないから、もし残業が、8時間発生した場合、代休で処理してもらうから、後1,2時間の残業はつかないから」と言われた。おい、いきなり違法宣言かよ、この責任者頭大丈夫か?と思ったが、初めてで波風たてるのもちょっと思ったので、「はい」と言っといた。ここでは、日勤か夜勤の一番下の人間が全員のふとんをとりにいくか、夜食(カップラーメンとおにぎり)をとりにいく、また朝に、全員で掃除を行う。Aホテルに比べるとのんびりしているので、ここではやっていけそうな気がする。ちなみに、ここの、夜食はAホテルより、かなり悪い。日勤を1ヶ月やったあと、夜勤入る直前に、K先輩が「初めての夜勤では、全員の夜食を買ってきてもらうから」「はあ」要するに使い走りをやれって言ってるのか?冗談だろと思ったが、冗談では、なかった。初めての夜勤に、入るとき、名目上の夜勤責任者である社員は、やはり夕方に出てくる。夕礼が終わり、夜勤の一番下のものがデータを取りに行くが、Aホテルとちがって、急いでやれば20分、遅くても30分で終わる。データやるついでに、扉の施錠も行う(?)ってこれって設備の仕事か?警備がいるのに。とりあえず夕食の時間かなと思ったら、夕食休憩がない。みんなで、社員をかこって、夜食をくう、なんで夜食を食うんだ、夕飯の時間でと思ったがそこはだまって食おうと思った。その準備は、机を拭いたり、お湯を沸かしたりするのは、下の仕事らしい。そして8時のデータを取った後、10時まで暇があるので、黒板に明日の作業を書く。これが長い。そして10時にデーターを取り、帰ってきてまた階段の入口の扉を施錠。11時になったとき、早寝の人(ここでは早寝の人は、上から2番目の人である)が寝る時間になる。早寝の人は、11時から4時まで寝れる。その時、早寝の人に、「君が夜食かってくるんだよね、はいお金、これとこれ買ってきてくれ、じゃよろしく」じゃよろしくじゃねーだろう、使い走り当然かよ、ちょっとむかついて何も答えなかった。
それから、12時にデータを取って、最後の集計にはいった、これもAホテル比べると単純なので12時40分には、余裕で終わった。それから、ちょっと休んでいると、K先輩が「それじゃ、夜食買いにいこうか、その机から、ファイルだして」と言われて、ファイルをだすとそれは、吉野家とか松屋とかのメニューだった。K先輩は、「それを、持って、全員の注文を聞いてきて」と言われた、私があきれてボーっとしていると、K先輩「まあ、初めてだから、やり方わからないから、よく見てて」と言って、全員の注文を取り出した。みんな腹が減っているみたく、すごい注文をする、寝る前にそんなに食って大丈夫か?
それから、月日が流れ、あきらかに、ここのシステムがむかついてきた。もともと、現場の雰囲気になじめないと思っていたとき、担当のM係長が来た。そして、いきなり、「君は、お客先に嫌われているだよね、ほかの場所に移動してもらう」と言ってきた。私は、内心、こっちも嫌ってるよと言いたかったが、我慢した。しかし、もう我慢の限界だったので、「辞めさせてもらいます」と正直に言った。
こうして、私のこの会社での生活がようやく終わった。
6、結論
まったく、最悪を絵に描いたような会社である。労働基準法は、あってないようなものだし、基本給が永久に変わらないというのもひどすぎる。おまけに、ボーナスは安い基本給の1ヶ月分である。
ただ、職業訓練校として、考えれば、なんでもやらされるから、技術だけは、身につく。職業訓練校はお金がとられるが、ここはすずめの涙とは、いえお金がもらえる。
ただし、仮眠はなく、休憩も殆どないので、身体がぼろぼろになり、取引先に、ゴミのように扱われるので精神的負担がでかいので、3年以上の勤務は、お勧めしない。とくに年齢のいった人は、2年以上働くのは危険である。
技術を身につけたら、さっさと辞めるべき会社だと思う。
定年まで、いても何にもならない、典型的な会社である。
---終--- (by N)
ある現場から パート1
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2008-08-01
下町ユニオンニュース 2008年8月号 に要約を掲載1.初出勤編
私は現在某ホテルで設備管理をしています。
これで、ビルメン会社は、2社目です。それまでは、全然別の仕事をしていました。
ここでは、私がビルメン業界に入った経緯を書きたいと思います。
まず、私がこの業界に入った動機は、ただ単に手に職をつけたいと思ったからです。しかし、すでに40を越えていた私には、未経験で雇ってくれるところは、あまりありませんでした。 その時、ちょうど最初の会社が、リクナビNEXTに掲載されていたので、応募してみました。
それから、2週間はなしのつぶてで、2週間後に急に電話がかかってきて、面接に来てくれ、ということでした。
私は、その時何も決まっていなかったので、喜んで行きました。面接のときに、「もし採用が決まったら、君にはこのホテルか、あるいはここのこのホテルに行ってもらう予定だ」と言われました。労働条件もそこで、言われました。そして結果は、後日電話しますと言われました。
3日後に電話がかかってきて、採用が決まったので、君には、I学会館(ホテル)に行ってもらう。
私は、喜びました。I学会館といえば、小さくて、未経験者にはちょうどいいホテルと聞かされていたので、
私は、ちょっと用事があったので、1週間後に行きますと返事しました。
そしてそれからすぐに、採用条件が書いた内定通知書が送られてきました。面接の時は、緊張していたので、改めて見てみると、基本給がえらく安い。基本給12万で、加給が12万だった。まあーでも、基本給はそのうち昇給するからとその時は思っていました。(後でそれは間違いだと気づくわけだが)
そして、入社予定日の3日前に、担当者から急に電話がかかってきて、君の勤務先がちょっと変更になって、APホテルになったから、それでいいか?という電話がかかってきました。
今から、いいか?と言われても、もうどうにもならないので、OKしました。今考えれば、それが最大の過ちだったのですが、その時は分かりませんでした。
そして、電話では、入社予定日に勤務先に案内するので、背広で来てくれと言われました。
入社予定日の朝本社に行くと、すでに担当者のM村係長が待っていて、書類提出の後、健康診断を受けました。その後現場に案内するからと言われ、それから、「現場についたら、ちょっと面接があるから、そのつもりで」と言われました。私は、心の中では、「面接」?と疑問に思いましたが、まあ顔見せだろうとその時は、思いました。
そして、Aホテルに着いたとき、私は、あまりの大きさにビックリしました。さすが、有名人や政治家がたくさん泊まるホテルとして有名なホテルだと思いました。
着いてそうそう、迷路のような地下への道を案内され、地下4階の施設管理室へ案内されました。そこは、そのホテルの施設管理部の事務所になっていました。
そこでまず、その会社(M村係長と同じ会社)のAホテルの事業所の副所長のA係長を紹介された。ずいぶん疲れきっている人だと思った。
M村係長に、そこのテーブルに座るように指示され、しばらくすると施設管理部長のO部長という人(Aホテルの会社の人)が、私の経歴書を携えてやってきた。
そこで、面接がはじまった。それはまさに、圧迫面接そのものであった。きみは、結婚しているのかから、始まり、「君の経歴を見ると、信用できないんだよね、本当にやる気あるのか?」、内心、なんでてめえにそこまで言われなければならないんだよと思いながらも、そこは我慢して、なんとか頑張りますと言ったら、ちょっと席をはずせと言われた。そこでM村係長から、A副所長のところに行くように言われ、私は向かった。
ちょっと説明しておくと、施設管理事務所のとなりが中央監視室で、A副所長は、そこにいた。
A副所長は、私に作業服(Aホテルの会社の作業服)を渡すと、ロッカーに案内した。君のロッカーはそこだから、荷物そこに入れてといわれ、今日は作業服に着替えなくていいからと言われ、食事の時間だったので、食堂まで案内された。
食事が終わって、ちょっと中央監視室で待っててといわれ、待っていると、M村係長がちょっとやつれた顔で帰ってきた。
M村係長は、私に「なんとか大丈夫だったから、明日から頑張ってくれ、じゃーA副所長後はよろしく」と言って本社に帰っていった。なにが大丈夫なのか、さっぱりわからなかった。
A副所長は、「今日は疲れただろう、きょうは初日でなにもすることがないから、帰っていいよ。明日は8:30分に来てくれ。地上まで案内するよ」と言われ、地上まで案内してもらった。
「道をよく覚えろよ、さもないと地下でさまようよ」これは、本当である。だから、私も必死で道を覚えた。
地上に来て、「じゃ明日、明日きたらここで入門手続きをして、一人で来て」と言われて帰っていった。
一人かよ、内心、大丈夫かなと思ったが、こうなればしょうがない、1時間早く余裕をもって来ようと思った。
今日は猛烈に疲れたので、早く帰ろうと思った。
2 初勤務(初日)
昨日疲れたので、早く寝て、5時におきて、職場に向かった。職場の入口に着いたのは、6時30分、でも案の定、迷いました。1時間かかってようやく職場のロッカー室に到着、元気よくあいさつすると、誰も挨拶をしてこない。人見知りが多いのかなあと思ってまあ、事務所は違うだろと思って、自分の会社のかたまっている所にいって、挨拶するとやはり挨拶を返す人がいない。ふと近くの机を見てみると、自分の経歴書が、机の上に転がっている。個人情報をみんなの見える机の上にさらすとは、どういう会社だと思って、考えていると、そうしているうちに、いきなりラジオ体操の音楽がかかった。朝から体操かよと思ったが、みんなゾンビのように身体を動かしているので、しかだがなくやった。そしてそれから全体の朝礼、それが終わってから施設管理部の朝礼、それから自分の会社の朝礼と30分、8時30分から始まって30分かよ、長すぎる。朝礼が終わってから、副所長のAに呼ばれ、「今日から当分の間、日勤をやってもらうから、しばらくみんなについていって」、副所長は帰っていった。それだけかよと、内心思った。そうしているうちに、日勤の責任者の人から、今日は、粗大ゴミをすてるから、ゴミ出しと解体作業ねと言われ、午前中行ったが、めちゃめちゃ疲れた。それから、中央監視室に帰って、疲れでボーっとしていると、日勤の責任者に「なにしてんの、食事にいきなよ」と言われた。昨日早く帰ったから、休憩時間がわからないですと言うと、「あ教えてもらってないのね、日勤の人は11時40分〜12時20分が食事(昼)、夜勤は12:20〜13:00までだから」それを聞いて、えっと思った。労働基準法では、8時間以上働く場合は1時間の休憩を与えなければならないのにここは、40分しかない、これってと思ったが、とりあえず食事をした。午後からも、また大理石テーブルの解体の作業があった。なんか、雑用ばかりだなあ。それから17:10分ごろ中央監視室に帰ってきて、夜勤の人と交代した。夜勤の人は、これから夕食だそうです。17時45分まで、疲れでボーっとしてると、なにやらみなさん事務所のほうに移動しはじめた。あいかわらず誰も何も言わない。しかたがないので、ついていくと、どうやら夕礼をやるらしい。それから20分やったあと、みなさんぞろぞろとタイムカードのほうに移動したので、どうやら帰ってもいいらしい。みんなをまねて、タイムカードを押して、ふと考えると朝押してない。これからは押そう。「お先に失礼します」と言っても、誰もなにも言わない。これはとんでもないところに来たなあと思ったが、ここで引き下がる訳もいかないので、ロッカー室にいった。みなさんもくもくと着替えている。私も着替えて、また「お先に失礼します」と言ってみたが、やはり何も言わない、もー慣れたけど。そうして、私の初日勤務が終わった。
3、日勤
相変わらず、日勤作業は、雑用ばかり。たとえば、プール清掃とか、どぶさらいとか、これってなんか設備の仕事と違うような気がする。なんだかんだいって、1週間がたった。ここで初めて、自分の会社の所長であるM本という人と、今日は一緒に作業するらしい。所長には、すれ違いで会わなかったので、今日一緒の初作業である。作業の内容は、消防設備の自主点検らしい。私と、ここに入って一月の新卒の新人の人と一緒だ。この新卒のOという人は、一番話しやすい。設備の点検をしている最中、所長がいきなりこれは、なんだと質問の嵐、答えられないと容赦なく怒鳴られる。私が答えられないと今度は、Oが質問され、やっぱり答えられないと同じように怒鳴られている。なんなんだこいつは、1週間そこらで、分かるわけ無いだろという質問を容赦なくしてきて、答えられても、次から次へと質問の嵐、答えられないと怒鳴る、頭おかしいのかと思った。機械室に連れて行かれたとき、確かここの配管は何だという質問に二人そろって答えられないとき、「馬鹿野郎、二人とも一週間以上いるにもこんなのもわからないのかと言われ、怒って出て行った」二人とも顔を見合わせた。しばらくして帰ってきたが、まったく疲れた1日だった。後で先輩に聞いてみたが、あの所長は、ここに、23年いて、ここでは、一番の古株で、昔、実際に暴力も振るっていたらしい。今はおとなしくなったみたいて言われた。それって、パワハラじゃと思った。これからも、なにかと日勤のときに、気に入られたのか知らないが、何かと所長と組まされ、そのたびに怒鳴られた。「おまえやる気あるのか」とか「おまえの専門分野はなんだ」とか「なにが得意なんだ」とか。そんなもの初体験の業界でまだ日にちもたってないのに、専門分野とか得意とかあるわけないだろう、と内心思った。そのおかげで、胃が痛くなり、眠れなくなった。
そうしているうちに、初給料が支給された。この時、この職場は、一人欠の状態なので、公休が1日削られていて、しかも9時〜18時までの勤務なのに、休憩時間も法定時間より少なく、朝礼、夕礼と余計に働かされているから、残業代も相当入っているだろうとおもったが、まったく入っていない。このことを、先輩にきいたら、ここは、「明けできっちり8時間働かない限り、残業代つかないから」と言われ、ちょっとおかしいと思いました。そうしているうちに2ヶ月がたち、そろそろ夜勤にはいるので、データのやり方を覚えてもらうからと副所長に言われ、研修にはいりました。9時から16時のデータを2時間おきにとるのですが、1回とるのに施設が広いためなれないと1時間ぐらいかかります。しかも、朝は池まで回らないといけないので、なれないと走っても間に合いません。ちなみに池は5個あります。それを1回やってみて、冗談じゃない、これでは、飯も食えない。先輩がいうには、昼のほうがまだましで、夜のほうがずっーと大変らしいです。それから、昼は、日中の使用水道量およびガス量も計算して、2時までに、社員のほうに出さないといけないので、すごい大変です。データは、全て手書きなので、書くのも大変です。2回、3回めは先輩が同行してくれましたが、4回目は一人です。案の定、走ってようやく間に合う。その最中で、温度計を割ってしまい、施設管理部のO部長に怒鳴られました。いま思えば、日勤作業は、まだましで、1月後の夜勤で、夜勤のほうがまだ地獄だと、後で知るのでした。
---続く--- (by N)
ビルメントラブル体験記
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2008-05-31
下町ユニオンニュース 2008年6月号よりドライバーの仕事から、何か手に職をと、ボイラーと電工二種を取得し設備管理の仕事に就いて五年ほどたちました。今までに出くわしたトラブルです。
スプリンクラーポンプ
宿直の日の夜九時頃突然警報が鳴りスプリンクラーポンプが運転、滅多にないことなので動転しました。呼水槽の減水の為、すぐにスプリンクラー盤のブレーカーを切り、ポンプの運転を止めました。呼水槽を点検した所、ボールタップがサビついて固着していました。後日交換して修理。ボールタップは日頃点検して動かすことが欠かせません。
汚水ポンプ
B1Fのトイレに入ったところ、ゴーというすごい異音がしました。汚水ポンプの盤を見るとポンプが運転しっぱなし、ポンプは長時間カラ運転すると熱を持って壊れてしまいます。すぐに止めて原因を調べると電極の絶縁不良でした。何度か悪臭をがまんし、マンホールを開けホースで電極に水をかけ洗浄しました。残念ながら復旧しなかった為、業者に依り電極を交換しました。電極も悪くなると絶縁が悪くなります。またキンチョールなどの殺虫剤も電極にかかると絶縁が悪くなる事もあるようです。やはり長持ちさせる為には定期的な電極の洗浄が必要です。
加湿ドレンの水漏れ
季節の変わり目は空調機の冷房と暖房の切り替え作業があるのですが、古い建物だとパイプの中がサビて詰まりかかっている為、一年経つと思わぬ水漏れがあります。冬期に切り替えて、加湿機を運転した所、下の階の天井から水漏れで事務所が水びたし、机やパソコンにビニールをかける状態になりました。想定外のことに慌ててしまい脂汗ものの復旧作業になりました。仕事で悪い汗はかくものではありません。幸いオーナーにも理解してもらい問題にはなりませんでした。この仕事は日頃のお客さんとのコミュニケーションも大切な業務です。もろもろのトラブルの多い仕事ですが、スキルアップをしていきたいと思っています。 (byワークマン)
ビルメン奮闘記 パート2
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2008-04-01
下町ユニオンニュース 2008年4月号よりビルメン奮闘記 パート2
常駐管理員がいるビルへ巡回点検に訪れた際、地下の汚水ポンプの一台が不具合の様子、原因究明と復旧を依頼されました。汚水ポンプというのはトイレからの排水などを集める汚水槽内に設置された水中ポンプで、フロートスイッチによって、汚水の水位が所定の位置まで上がると自動運転で排水し、水位を一定に保つためのポンプです。通常二台が自動交互に運転し、一台が不具合になってももう一台でバックアップ運転できる制御になっています。もし二台とも運転しなければ満水警報が発報し、ついにはマンホールから汚水が溢水するという最悪の事態に陥ります。
点検してみると、運転電流値は正常値の半分位しか上がらず、モーターの音も異常でした。状況を総合的に判断してエア咬み(ポンプの中に空気がはいり吸い上げできなくなる)の可能性大と判断しました。
早速汚水槽のマンホールを開けると鼻をそむけたくなる悪臭が漂ってきました。ホースリールを水道に繋ぐと、もう一台の正常な汚水ポンプを手動運転して、勢いよく水を流して汚水ポンプの上に水を注ぎました。しかし、それでは直りませんでした。やむを得ず、マンホールより脚立を立ててホースの先をモップの柄にテープで留めてポンプの吸い込み側(下側)にホースを差し込む方法を試しました。タオルをマスク代わりに脚立を二段下りると、顔が汚水槽の中に入りました。その時悪臭は我慢の限界に達しました。吐き気を催すのを必至でこらえてなんとかホースの先をポンプの下に潜り込ませるのに成功しました。そして今までと同じ作業を二、三回繰り返した結果、やっとの事で正常に復旧しました。
この仕事は3Kではなくて5Kではないかとつくづく思います。なぜなら、キケン、汚い、キツイ、の他、給料が安い、それに、正当に評価されない。この想いはビルメン業界に働くすべての人が、少なからず感じておられるのではないかと推察されます。
我々はなぜ社会的地位が低いのか? キケンな事、不衛生なことも顧みず、目の前の不具合を是正する事に必至の努力をしても、それは決して報われることはない・・・。そう考えるのは私だけでしょうか。皆様のご意見をぜひ聞かせて下さい。 (by三郎)
ビルメン奮闘記
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2008-01-01
下町ユニオンニュース 2008年1月号より新年明けましておめでとうございます。
雇い止めを撤回させた後、昨年秋から、中小ビル(無人設備監視・機械警備)の巡回点検の部署へ配属になりました。毎日違うビル、二〇棟余りを月一回点検する仕事です。一日で熱源、空調設備、電気、衛生設備全般を点検するという多岐に渡るものです。
一、突然の断水、その原因は?
多くのビルでは水道水を地下などにある受水槽に貯め、それを屋上の高架水槽にポンプアップして使用しています。前日にそれら貯水槽の清掃を実施した某ビルのテナントであるレストランから「水が突然出なくなった」との緊急連絡が入りました。早速駆けつけて見ると高架水槽の水位がほとんど空でした。制御盤では異常表示も減水警報も発報していませんでした。直ちに揚水ポンプを運転、勢いよく高架水槽に補給水が流れ込みました。水槽内をよく見ると、(水位異常を検知したり揚水ポンプの運転を制御するための)電極棒が二本水槽の底に落ちていました。貯水槽清掃に携わった業者に問い合わせたところ、高圧洗浄機で洗浄している時は異常なかったが、ジョイントの部分は塩素の影響で腐食していたとのこと。たぶん後で脆くなった部分が脱落してしまったものと思われます。
二、点検の盲点を突かれた事故
貯水槽清掃報告書には水位警報はすべて正常に発報したと記入されていました。しかし発報試験はすべて制御盤で端子の短絡等の方法で行ったとのこと。それでは高架水槽内の電極棒の異常には気がつきません。高架水槽が低水位になっても、揚水ポンプの自動運転信号は送信しないし、水槽が空っぽになっても減水警報は警備会社にも通報されません。
しかし、高架水槽の電極函は風雨に曝されるため、通常防水コーキングが施工されています。従って警報テストのために電極函を開けることは避けるのが普通です。
皆様の会社(現場)ではどのような方法で実施していますか。良い方法があったら教えてください。
ユニオンでの活動が仕事上の技術情報の交換にもなったら、有難いのですが。「労働力商品」としての価値を自ら高める努力も必要だと思います。皆様はどのように考えますか。
本年も、皆様にとって良い年になりますように。ユニオンの更なる発展のために共にがんばりましょう。
by三郎
雇い止め撤回闘争体験記
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2007-11-01
下町ユニオンニュース2007年11月号より一、ユニオンとの出会い
それは突然の解雇宣告であった。
私は五十九歳、二年ほど前に三井不動産系列のビル管理業の大手、F社に就職しました。銀座にある二十五階建ての、ホテルとオフィスの複合施設に、常駐のビル設備管理要員として配属されました。一年契約の契約社員ですが二度目の契約更新の一ヶ月前に雇い止めの通告を受けました。
思いもよらない宣告に、愕然としました。そして藁をもつかむような思いで、以前試験会場でビラをもらったビルメンユニオンに相談しました。すぐに相談に乗ってくれて、その場で組合員になりました。
基本方針として一,雇い止めの撤回。二、当直(ホテルを含む六万平米のビル設備を仮眠時間六時間の一人勤務)で一回一八〇〇円のみ支給。これを、仮眠時間も労働時間とした最高裁判例に基づき、仮眠時間分の超過勤務手当の要求。三、有給休暇が取りづらい点。概ねこれらを要求して団交を要請しました。
二、いよいよ団交に臨む、そこには想定外の結末が!!
団交の第一ラウンドは双方の主張を述べあうという、探り合いに終始しました。
二週間後の第二回目の団交では、予想だにしなかった回答がありました。
雇い止めの撤回です。拍子抜けして次の言葉が出ませんでした。
しかし当直時の超勤手当に関してはゼロ回答でした。私自身はこれを勝利とするか敗北か、評価できません。
会社は今年創業五〇周年、本年度中間決算も増収増益です。「コンプライアンス」を社業の基本理念に掲げる日本を代表する三井不動産系のビルメン会社が、支払うべき法的根拠のある賃金を踏み倒して得た利益です。皆様はどう思いますか? ご意見をお聞かせ下さい。 by三郎
■10月7日(日)ビル管試験会場の慶応大学三田校舎で宣伝リーフを配布しました。4名で700枚配布。参加した方お疲れ様でした。


